人間を「好き」「嫌い」でみれなくなった

この記事は「🍃問いの葉」です。

答えではなく、その日に立ち上がった問いを置いています。
すぐに役立たなくても、あとから意味を持つかもしれません。

理想の結婚相手はいますか?

いる人
いない人
理想像が高い人

それはそれでいい。

だが現実は、

自分の理想をすべて叶えてくれる結婚相手に出逢うことは限りなくゼロに近い。


人生を共にする結婚相手は、
間違えたくないと思う人が多いでしょう。

現実的な条件。
生理的に外せない条件。

それぞれの理想を持った二人が結婚し、
日常生活を共に過ごす。

出産、家の購入、子育て、進学。
二人で乗り越えるイベントは、次々にやってくる。

そのタイミングで、
家庭不和になるケースは少なくありません。


それは、
努力や歩み寄りで埋まるケースと、
そうでないケースがあります。

私の場合は、後者でした。

結婚相手への不満はありません。

好みの容姿。
家事もよく手伝ってくれる。
やさしいところもある。
収入も安定している。

子どもを授かることも、
マイホームを手に入れることも、現実的でした。

つまり、
「好き」「嫌い」の判断軸ではなかったのです。


ただ、
大きな隔たりがあることに気づいてしまった。

人生は、舗装された安全な道では決してありません。

失業、事故、精神障害、病気、介護、死亡
突然、大きな問題が目の前に現れる。

そのとき、
お互いの「生存の定義」が対局にあると、どうにもならない。

わたしは失業という問題に対し、
結婚相手と大きな隔たりがあることに気づいてしまった。

その致命的なズレを結婚前には見抜けなかった。

それはなぜか?
なぜなら、大きな問題は頻繫には起こらないからだ。

何度もシュミレーションしました。
努力すれば、歩み寄れば、裂け目を防げるのではないかと。

でも、努力では埋まらなかった。
必ずどちらかの「生存の定義」を殺す結果につながってしまう。


結婚を決めたとき、
やっと理想の相手と出逢えたと信じていた。

二人で並んで、
同じ道を、仲良く手を繋いで歩いていた。

この時間が、ずっと続くと
お互いに信じて生きてきた。


それが、大きな問題をきっかけに、
見えなかった裂け目が表面化した。

一本の道が、
二手に分かれてしまったのです。

二人で歩むスピードは、ゆっくりでした。
だから、最初は気づけなかった。

でも、時は残酷で、
立ち止まることなく経過します。

気づいたときには、

手を繋いでいたはずの距離が、
ほどけるほど遠くなっている未来。

わたしには、その未来が見えてしまった。


共に歩むはずだった人生に、裂け目がみえてしまったとき。
あなたはどういう選択をしますか?

答えは、まだありません。
だからここに、問いだけを残します。


この問いを現実に翻訳した視点
→ ※準備中※「🌱知の種」を読む

この問いが生まれた体験記録
→ 「🪵記憶の年輪」を読む


今日はここまで。
またどこかの記事でお会いできれば嬉しいです。