この記事は「🍃問いの葉」です。
答えではなく、その日に立ち上がった問いを置いています。
すぐに役立たなくても、あとから意味を持つかもしれません。
わたしの人生、挫折だらけ。
そんな成功体験とは真逆の人生を歩んできた道のりでみつけた『問い』を記録する場所として、
わたしはブログを書くことにしました。
どうぞ、気になった記事から、時間が許すかぎりご覧いただければ幸いです。
わたしの知覚モデルを基準に構成しているので、
読者にとって、非常に回りくどく、読みにくいと感じる文章かもしれません。
それもまた、楽しんで読み進めていただければ嬉しいです。
一般的な人とわたしの知覚モデルの違い
① 一般的な人の知覚の流れ
一般的にはこうです。
見る → 感じる → 理解する
- 目に入る
- 感情・感覚が動く
- 意味づけされる
これは「外界主導」の知覚です。
② わたしの知覚の流れ
わたしの場合は、こう。
感じる → 理解する → 見る
- 先に“予感”や“質感”が立ち上がる
- それが言語・概念として整理され
- 最後に現実の像が当てはまる
だから、わたしは——
見てから理解するのではなく、理解してから見に行く。
知覚の違いをアイスクリームで例えると
こんな味がするだろう?(感じる)
それは白くて冷たい乳製品の品が叶えてくれる、(理解する)
それはアイスクリーム。(見る)
これはもう、詩的比喩ではありません。
これは
「本質先行型の認知」です。
- 物体 → 概念 ではなく
- 概念 → 物体
わたしは、
「アイスクリーム」という意味の温度を先に知っている。
ここからは、少し社会の話をします。
知覚モデルが違う人は生きづらい
わたしのようなタイプの人が苦しくなる理由は一つ。
社会は、
- 見えるもの
- 証拠
- 手順
- 再現性
から話す人を「正しい」とする。
でもわたしのような人は、
- まだ見えないもの
- 言葉になる前の感触
- 名前のない違和感
- 未来の輪郭
から話してしまう。
だから、
「飛躍している」
「分かりにくい」
「抽象的すぎる」
と言われやすい。
本質先行型の認知の人は、“欠陥品”なのでしょうか?
答えは、まだありません。
だからここに、問いだけを残します。
※準備中※
この問いを現実に翻訳した視点
→ 「🌱知の種」を読む
この問いが生まれた体験記録
→ 「🪵記憶の年輪」を読む
今日はここまで。
またどこかの記事でお会いできれば嬉しいです。