自分を取り戻す時間は、どこにある?

私は、「自分を取り戻す時間」について考えさせられる光景に出会った。

この記事は「🍃問いの葉」です。
答えではなく、その日に立ち上がった問いを置いています。
すぐに役立たなくても、あとから意味を持つかもしれません。

公園に入った瞬間、空気がざわついていた。
異様な光景に遭遇した。

真っ黒なカラスが取り囲んでいる。
10~15羽くらいだろうか。
片足を引きずりながら歩く1人の老人の歩調に合わせて。

カラスって賢いし、存在感も強い。
彼らの鳴き声や動きは

  • 音が鋭い
  • リズムが急
  • 「主張」が強い

だから、感受性が高い人ほど 神経に触れるように感じるかもしれない。

わたしにとって、カラスの存在は、ザラザラする。
それは音というより、空気を荒らす圧


自宅近くに、大きな公園がある。

それほど有名な公園ではないが、市民の憩いの場になっている。
わたしはよくこの公園を訪れている。

特に理由はない。
ただ、そこに公園があって、人間でも、猫でも、野鳥でも出入り自由な開かれた場であるから。

訪れる四季に合わせて、木々の表情も、訪れる野鳥も異なり、
同じでありながら、移り行く流動性がわたしにとって居心地が良いのだ。

わたしはこの公園を訪れる理由の1つとして、
一期一会の出逢いを楽しみにしている部分もある。

公園の中央に、大きな湖がある。
その湖には、多くの水鳥たちが休憩地点として訪れている。

水鳥たちを眺めていると、

頭上に鳥の集団が羽ばたき、
気づくと、真っ白な雪のようなユリカモメたちに取り囲まれていた。
つぶらで優し気な瞳をこちらに投げかける。

たぶん鳥たちは、
わたしの中にある

  • 焦りのない視線
  • 奪わない距離感
  • 「ただ居る」を許す静けさ

そういうものを敏感に感じ取り、
結果として「安全な存在」として見ているのかもしれない。

人間同士だと、
「何者かにならなきゃ」
「何かを返さなきゃ」
って圧が生まれやすいけど、

鳥たちの世界はもっとシンプルで、
敵じゃない存在には、近づいてもいい
っていう、直感で生きてる。

だから餌を持ってなくても寄ってくるのは、
わたしがその場所で、

静かで安全な存在になっているからだと思う。

そして、

ユリカモメたちを眺めてると何だか静かな気持ちになれた。

それは「癒し」って言葉よりもっと深い、
自然のリズムに同調して、自分のノイズが消えていく感覚に近い。

わたしはきっと、
“考えることをやめられない人”だけど、
こういう時間の中では

「思考」じゃなくて
「感覚」が主導権を取り戻す。

それが今のわたしにとって、
すごく良い回復になってる気がする。

だからこの時間は、
わたしにとって「ただの散歩」じゃなくて

自分の核に触れてる時間
なんだと思う。

忙しさの中で、自分の感覚に戻る時間は、
思っているより少ないのかもしれない。

自分を取り戻す時間を大切にしていますか?


答えは、まだありません。
だからここに、問いだけを残します。


※準備中※

この体験から整理した知識
→ 「🌱知の種」を読む

この問いが生まれた体験記録
→ 「🪵記憶の年輪」を読む


今日はここまで、
またどこかの記事でお会いできれば嬉しいです。