貧困と学歴の壁を越え、中卒から税理士になった父の「選択と責任」の実録です。
この記事は「🪵記憶の年輪」です。
時間をかけて積み重なった気づきや視座、そのときは言葉にならなかったこと、あとから意味を持ち始めた記憶を、年輪のように残していきます。
貧困の中の子供時代
思い返すと、
僕は、貧乏人の子供でした。
町内で、
貧乏人の子供と言えば、
通り沿いに建つ、下田宅。
その隣の安井宅。
その向かい側に建つのが僕の家である北宅です。
3家が何故か並んで建つものですから、
貧乏人が住むゾーンというか、
ご近所さんには、そういうくくりで認知されていたと思います。
貧乏人の子供は、
そういった世間体での自分達の立ち位置という外界的な問題よりも、
なにより悩まされていたのは、
空腹との戦いだった。
食い扶持は、僅かなくせに、
なぜか子宝に恵まれるというのは、
貧乏人の共通点で、
僕らの家族を含めて、貧乏人の家庭はそうでない家庭と比べて多く、
一家族、子供が6〜7人いたので、
毎日の食糧調達は、自分に頼るしかなかった。
幼少期の記憶は断片的で、
記憶がしっかりしてるのは、小学4年生の僕だ。
お昼休憩の時間、
みんなは、家から持参したお弁当を食べる。
僕は、貧乏で弁当が無いものですから、
お昼休憩は、食糧調達をする為に悪さもしました。
クラスに何人か裕福な家庭で育った子供がいて、いつも豪華なお弁当を持ってくるんです。
うまく狙って、彼らの席にぶつかるんです。
そしたら、必然的にお弁当は、床へ放り出される。
裕福な家庭で育った子供は、床へ落ちたお弁当は食べません。
だから、貧乏人の僕らだけ、食べることが出来るんです。
そうやって悪知恵を働かせて、
毎日の空腹を満たす為に何でもやった。
なので、貧乏人というラベルだけでなく
月に一回は必ず職員室でお世話になるような、
学校の規範から真逆の、救いようのないクズと冷ややかな視線を周囲から向けられていた。
そんな子供時代を過ごした僕だか、
ここは、本来立つべき位置では無い。
そのプライドがいつも腹の底にあった。
確固たるプライドを犠牲にしてまで、
生きるための行動を、
誰に教わるわけでもなく、
自分のなけなしの頭で考え生きてきた。
なぜか分からないが、
世の中の規範から外れた人生を脱却するために、
見えないなにかに突き動かされてくるかのような感覚が常にあった。
「北家の復興をお前に託したぞ」
そんなご先祖様の声が聞こえたような気がした。
中卒就職という分岐点
人生には、岐路があると言われている。
僕にとっての岐路の1つは、
中学校卒業を控えたあのとき。
僕は、とても動揺していました。
進学組と就職組で別れるんですが、
僕はもちろん生い立ちの理由から、就職組を選ばざる終えませんでした。
就職組は、年末までに就職先が決まった。
僕1人だけ、
年明け後も仕事が決まらず焦っていた。
「先生、僕だけ仕事決まっていないんやけど大丈夫やろか」
「北、大丈夫やて。先生に任せとけ」
僕の人生は、就職課の先生に委ねるほかなかった。
卒業式を2週間後に控えた2月末に、
ある会社の倉庫番としての就職が決まった。
倉庫番から抜け出したい
僕は、倉庫番で居続ける気持ちは無かった。
どうにかアピールして出世したい。
一花咲かせたいとプライドがあったから、
仕事の丁寧さ、効率を考え仕事に取り組んだ。
そんな中卒で倉庫番の僕を、
支店長は、高く評価して下さり、
何とか花型の営業へ仕事のチャンスを与えてやれないかと、上へ掛け合ってくれていたそうだ。
学歴のある勤務態度が怠慢な先輩からすると、
その状況は面白く無いらしく、何かにつけて難癖つけられて殴られた。
殴られるたびに、
中卒、貧乏人とバカにされる度に、
僕の生きる核の炎は、轟々と燃え上がり、
「いまに見とれ、その腐った顔一生忘れんぞ。顔向け出来んくらい出世してやるからな」
怒りをばねに働いた。
営業へ配属の話は、
上層部の判断で「中卒」を理由に無くなった。
落ち込む暇はなかった。
僕はどうにか倉庫番から逸脱したい気持ちで、夜間の高校卒業資格が取れる学校に入りたいと上司に掛け合ってみたが、
「北君、君は一生倉庫番だから」
続けざまに希望の光に蓋をされた。
それでも諦めきれなかった。
何度も掛け合ったことで、
希望の学校には入れなかったが、
経理の夜間学校に入るチャンスを手に入れた。
人生を変えた夜間学校
夜間学校で出会った経理の先生は、
僕にとって、生きる希望を与えてくれた存在だった。
「北君、君はバカや無い。君は、経理の才能がある。君は税理士を目指したら良い!」
「先生、税理士ってどんな仕事何ですか?」
先生は、僕にとっての太陽だった。
将来の希望が持て切れずにいた僕に、
貧乏人を脱却する為の知識を、道のりを指し示し、
後押ししてくれたかけがえの無い人物の1人であった。
運命を変える決断
同じ頃、僕のココロを熱く打つ出会いもあった。
同い年だが、高卒で経理課に配属されたよしこさん。
面影は、時代をときめくアイドル似の美人で、偶然にもお互いに一目惚れだった。
倉庫番の仕事を恨んではいたが、
相思相愛の2人が内密に逢える絶好の場所でもあり、僕らはここで沢山の言葉を重ねた。
彼女と会う度に、僕にとって運命の人だと気持ちが膨らむと反比例し、
このままではいけないと、僕の中でその声か鳴り響く。
そんな相反する思いが交差する状況の中、
「北家の復興をお前に託したぞ」
そんな使命を魂に宿した血と肉が、
ここで終わってはいけない。
お前の立つべき舞台を忘れたのか。
と、運命の舵取りを必然的に己の野望へと切った。
僕は、運命だと決めた人に別れを告げた。
独学で税理士へ
26才。
10年お世話になった倉庫番を卒業し、恩師の紹介で、会計事務所へ転職した。
毎日の業務をこなしつつ、
空いた時間や、睡眠時間を削って税理士試験に独学で励んだ。
税理士になるには、高校、大学、専門学校を経て当時は5科目に合格する正規ルートが一般であったが、
貧乏人で中卒の僕は、そんな資金もゆとりもなく、独学で勉強するしか道が無かった。
だからこそ結果を出すために、来る日も来る日も肉体の限界まで努力した。
目を酷使し続けた為に、目が開かなくなる問題があった。
町医者に、このままでは失明しますと診断されるが、
挫折する道の選択は、貧乏人の僕には無かった。
先生を説得し、目がニチャニチャになる薬を処方してもらい勉強を継続する事が出来た。
「やるったらやる。」
結果を出さなけば、生きる道は無かった。
税理士資格の受験勉強を進める過程で、
自己認識が劇的に変わった。
面白いことに、
頭の中に、分厚い教科書の細かい文字が吸収されていく感覚。
文字を刺繍するかのように脳の記憶に刻むものですから、
どこの何ページに何が書かれてるか
当然のように出し入れできる超感覚的な理解しがたい能力が開発された瞬間であった。
それと同時に、
「僕は天才なのではないか!」
その圧倒的な自信が、自己認識を覆してしまった。
僕は、バカだったけど。
僕は、天才なのだと。
選択と責任の結果
28歳ですべての科目をパスし、
30歳で独立起業した。
僕は、ようやく前を向けるような気がした。
35歳には、
異例の開業5周年記念セレモニーを、老舗ホテルで堂々と開催した。
それから、40年以上税理士としての仕事を続けてこれた背景には、
幼少期、青年期に出会った環境、人物の外的要素もさることながら、
改めて感じるのは、
選択と責任がどんな局面でもぶれずに、
「なにくそ」、「ええクソ」と言いながらやってこれたからだとそう思えてならない。
この実話は、僕の選択と責任で歩んできた1つの結果でしかない。
伝えたかった事はただ一つである。
自分が望む未来は、
自分を信頼し続けること他ならない。
後から振り返ったとき、 世界の見え方が 少し変わっていたことに気づく。
それが、 記憶に刻まれる年輪です。
※準備中※
この体験から見える社会構造
→ 「🌱知の種」を読む
この体験から立ち上がった問い
→ 「🍃問いの葉」を読む
今日はここまで。
またどこかの記事でお会いできれば嬉しいです。