仕事をやめて一人旅へ|便利屋の役割を降りた日【台湾でみつけたもの①】

仕事をやめたあと、次を探す前に、わたしは旅に出ることを選んだ。
評価されない構造の中で「便利屋」として消耗し続けた結果、わたしは仕事を辞める選択をした。
今回は、6年間正社員として働いた会社を辞めた理由をお話します。

この記事は「🪵記憶の年輪」です。
時間をかけて積み重なった気づきや視座、
そのときは言葉にならなかったこと、
あとから意味を持ち始めた記憶を、
年輪のように残していきます。

正社員という前提のズレ

頑張っているのに、なぜか報われない。そんな違和感を抱えたことはありませんか?

わたしは、新卒で正社員になった正規ルートの人生ではない。

夢を諦め、大学卒業資格を取得し転職した会社の上司は、年下上司でした。

年齢だけを見れば、わたしの方が上。
そのため、社会人経験もスキルもある前提で見られていたように思います。

けれど実際には、
接客業中心のキャリアで、デスクワークは初めて。

その前提のズレによって、
入社直後から、期待を裏切ってしまった感覚がありました。

非正規雇用の職場では、
上下関係はあってもフラットで、個性を尊重し合う環境でした。

できないことは補い合い、
得意なことを伸ばす文化があった。

だからこそ、正社員の職場に入って初めて、
「できて当たり前」という前提の厳しさを知りました。

孤立と消耗の構造

転職先では、スキルも作法も備わっている前提で評価されます。

同時期に入社した新入社員と比べても、
自分への当たりは強かったと感じています。

そして、わたしには“同期”がいませんでした。

誰にも相談できない環境は、それだけで人を静かに消耗させていきます。

相談できる相手もいない中で、
周囲にいるのは、評価する側の人間だけ。

この環境の中で、
能力を評価される前に、人間関係で孤立していきました。

それでも、どうにか挽回しようと努力しました。

理不尽な評価、意図しない出向、
納得できない扱いにも耐えながら、前向きに仕事に向き合ってきました。

しかし、異動のたびにスキルは断絶され、
積み上げたものはリセットされていく。

努力で解決できない構造があると、認めることは簡単ではありません。

知識不足を補うために学び、
結果を出しても、評価にはつながらない。

パワハラの内部告発をすれば評価を下げられ、
成果を出せば、また別の部署へ異動。

気づいたときには、

「必要なところに都合よく配置される存在」になっていました。

便利屋の役割を降りるという決断

最後に出された異動命令は、
法的トラブルが多発する案件の“火消し役”でした。

本来であれば、専門知識や経験のある人材が担うべき役割です。

それを、知識ゼロのわたしに任せる構造。

もし成功しても評価されず、
失敗すれば責任だけを負う。

そして、異動命令に従わなければ、
重大な懲戒処分の可能性があると明記されていました。

この状況に違和感を覚え、
社労士や労働基準監督署にも相談しました。

その上で出した結論は、

この構造の中で、これ以上頑張る理由はない

ということでした。

わたしは、

便利屋の役割を降りることを選びました。


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それでも、すぐに次の仕事を探すことはできませんでした。

頭では「動かなければいけない」と分かっているのに、
心がついてこなかった。

そのとき、わたしが選んだのが「旅に出る」という選択でした。

👉 仕事をやめて一人旅へ|台湾を選んだ理由【台湾でみつけたもの②】


※準備中※

人生の分岐点を整理した記事はこちら
→ 🌱 知の種を読む

この体験から立ち上がった問い
→ 🍃 問いの葉を読む


後から振り返ったとき、
世界の見え方が
少し変わっていたことに気づく。

それが、
記憶に刻まれる年輪です。

今日はここまで。
またどこかの記事でお会いできれば嬉しいです。